研究者の中で、ハローワークへ行ったことがある人はどれ位あるだろう?このご時世、実はそれなりの人数の方が行かれているのではないか、と思われるが…、実に厳しいよ!
ハローワークというのは、職を斡旋する場所であり、相談すれば“適切な“職場を紹介してくれる。自分の特技、キャリア、希望職種、希望給与額、何でもリクエストできる。で、欲張って「こんな職場でこんな条件が良いです」と書くと、「そんなの存在しません」とあしらわれる。
研究職に就いて来た人間にとって、多くの方は社会における自分の価値を知らないのではないだろうか?そして、ハローワークに行くと、社会における価値は無い、という現実を突きつけられるのである。
順番を待って、呼び出されるのを待つ。小さな子供を連れたお母さん、スーツをビシッと決めたサラリーマン風の人、少しラフな着こなしが元重役を思わせる風情の人、肉体労働をやっている人、様々な人が待っている。皆、仕事が無くて、苦しいのである。焦燥感が漂う人がいる。次々に呼ばれ、照会状の束を手に皆帰って行く。子供を連れたお母さん、子供を預けることすらままならないんだろう、そう思うと、ぜひ良い仕事が見つかれば良いが、と思う。
しばらくすると自分の番号が呼ばれた。カウンターに行ってみると、本人確認があって、仕事の案内が始まるのだが…。「森さん、森さんの希望するお仕事は、非常に難しいですね」と来る。研究職と書けばこうなる。そりゃそうだね、いや分かってますよ、パソコン関連でも何でも良いんですがとにかく何かありませんか、と言うと、「こういうものになりますが」と私に見せたパソコンのモニタ上には、月10万円前半の給与が書かれた求人がズラッと並んでいるのだ。つまり、私の労働者としての価値は所詮そんなものなのだ、いや待て、例え申し込んだとして、この給与額でも採用されるとは限らないのだ…
研究者は、専門家だ。一般社会はそんな専門家の使い道を知らない。そう、私自身が就職に苦労する事からしても、私自身がそもそも私の使い道を知らないのである…。
研究者とハローワークと…
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