OLと言えば、俺はキャリアウーマンの意味ととらえていたんだが、これはかなりの非常識だったんやね。今日“女性社員”に「OLの皆さんには」と口を開いた途端、猛烈なブーイングが。OLというのは、お茶くみや、宴会の席で位の高い人のお酌をさせられたり、そういうのを指すというのだ。全くの非礼、失礼いたしました。しかし、続けて「これだから女性差別って無くならないんですよ」の一言に、あれ?と思ったのである。
今回は、非常識な発言ながら、もちろん差別を意図していたわけでもなく、それは女性社員たちも承知しているわけだ。そこで疑問に思ったのは、社会には女性差別ってそんなにあるのか?ということである。これを言うと、「男には分からないんですよ」と返ってくる。それはそうかも知れない。差別というのはこういう具合に意図しない発言が積み重なっていくところもあるだろう。しかし、それでも俺は未だかつて“女性差別”というのを見たことがないのである。俺の知っている働ける女性たちは、皆が非常に凛々しく、それぞれの場で活躍していた。男性も彼女たちを尊重し、男女変わらず能力相応の対応をしていた、女性だからどうこうということはなかったのである。それは、アメリカだったからなのか?それともやはり俺も加害者の一端で、単に気付いていなかっただけなのか?
帰国して10ヶ月になろうとしている。少しずつ日本の社会にも馴染み始めているのだが、やはり俺が女性差別を感じなかった要因は前者、すなわちアメリカにいたからなのかも知れない。先日、日本でだが、男性は家事をやらなくて、という話を聞いて驚いた。アメリカでは、俺は毎日食器洗いをやっていたし、洗濯もやっていたし(洗濯機に入れる順番がとか何とかで、妻とはよく口論になったが)、掃除機もかけていた(途中からロボットのRoombaを使うようになったけど)。職場でも、女性だから、と見下げることはなかったし、逆に持ち上げることもなかった。正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると議論してきた。日本ではどうなんだろう?女性蔑視というのはまだやはり存在するんだろうか?あるいは、逆に実力もないのに女性だからと下手に持ち上げたりすることもあるんだろうか?いや、女性社員達が言うんだからやはりあるんだろう。
俺は、現在の職場の女性社員たちを尊敬している。俺にはない視点で物事をとらえ、俺にはできないクリエイティブな仕事もたやすくこなしていく。電話などの対応も、女性ならではのきめ細やかさが際立っている。だからこそ、俺は彼女たちを信頼し、リーダーとして勤まるのだと思うのである。実際の女性差別の現場というのが分からない。何度も言うが、俺が気付いて来なかっただけかも知れない。しかし、もし日本の方がアメリカよりも女性差別というのが多いとすれば、それはお互いに議論を避けているからではないか、と思う。議論、そうだ、議論なのである。
少し考えてみればアメリカでも女性差別が存在しているのは間違いあるまい。詰まり、俺がこれまでそういった類のものから隔離されていたのは、そういうものと無縁の社会にいたからかも知れないのである。基礎科学の研究分野で、男性女性関係なく議論し、ともに仕事をこなしてきた。議論ができるということは、お互いに相手を尊重しているからで、従ってそこに差別というのは生じ得ないのではないか、と思う。つまり、相手を尊重できれば、差別というのは存在しないのである。例えば今回の俺の発言も、女性社員達が俺に意見も言わず影で「あの人も女性差別するよね」なんてことを言うたとしたら、俺は女性差別者なのである。しかし、そうならなかった。それは、俺を信頼し、尊重してくれているからに他ならないのではないか?
あれやこれやと知った口を叩いているが、実際問題として、やはり女性差別についてはよく分からないのである。女性差別があれば、必ずや男性差別も存在する。先日県庁で家庭内暴力についての貼り紙を見た。明らかに女性対象だ。暴言も家庭内暴力だと書かれている。しかし、この世の中に、女性の尻に敷かれていない男性がどれほどいるというのか?まあ、もういい。とにもかくにも、世の中に差別は存在しているのである。そして、知らぬ顔をしている俺も、ともすれば簡単にその加害者になりうるのである(既にそう考えている女性もいるかも知れない)。研究者として生きてきた俺は、この問題に触れることがなかった。世間というやつは、実に、難しいのである。あれやこれやと細かいことを考えだすと、ただでさえ小さな脳味噌だ、それだけで頭がいっぱいになって、俺の一生なんてあっという間に終わってしまいそうだ…
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