敬語は、自分がアメリカで失った日本文化の一つだ。いや失ったのではない、消し去ったのだ。私は昔、日本で学生の時に人と余り議論ができなかった。特に先輩や先生方には反論することすらおこがましいように感じていた。議論に年齢は無関係であるべき事を当然理解はしていたが、それがどうしてもうまくいかなかった。その原因が、「敬語」なのである中学の陸上部、高校の山岳部で私は敬語を徹底して鍛えられた。敬語を使う相手、先輩方の命は絶対で、反論はあり得なかった。
敬語で反論することを学ばなかった私にとって、敬語での議論は非常に難しかった。そこで、私は、アメリカで仕事を得て誓ったのである。敬語をやめよう、と。幸いなことに、多くの方と様々な内容について深く議論できるようになった。この上ない満足感を得ながら、議論に敬語という壁のないアメリカと日本のギャップに愕然としたのである。
7年ぶりの日本である、初めての会社勤めである。上司は自分より若い女性だ。今度は徹底して敬語に戻そうと考えたが、残念ながら敬語は戻らない。ある人に、本格的な(?)敬語を使ったら、明らかに恐縮された。自分は、新社会人、新入社員であり、実は若者のように感じているのだが、他の人にしてみればアメリカで7年間研究に没頭された不運な理学博士と見えているようだ。当然だ、履歴書にそう書いてあるんだから。年老いた新人がどういう敬語を使うべきなのか、中々落としどころが分からない。考えても下らなくなってすぐに忘れてしまい、それでまた敬語は戻らないのだ。なので、我が社員の皆様、しばらくは敬語やらタメ口やらころころ変わりますが、末永くお付き合い下さいませ。