科学者の転職記

ノーベル賞と国家予算 〜日本の向かう所

日本人がiPS細胞に関連してノーベル賞を受賞した。ノーベル賞はすごいんだが…。これでまた文科省の予算配分が一極集中化するのではないかと、それが心配なのである。

 科学は、様々な観点で様々な事象の解明に取り組むことで、時として大きな産業を生む。すなわち、「金にならない」研究を数多くやっているうちに、その内の何%かが実用化されて人類に大きく寄与することになる。いろいろな種類の種をたくさんまいて(色々な研究があり)、その内の僅かが芽吹き(成果を出し)、さらにそのうちの僅かが花を咲かせるのだ(実用化される)。花を咲かせる研究は特許となって国益に結びつくので、一気に投資して有望な芽を人より先に育てることももちろん大切である。だがしかし、次の新しい花を見つけるには、新しい種をまき続けなければならないし、小さく芽が出たまま止まっているように見える研究も、丁寧に育てれば実は将来立派な花を咲かせるかも知れない。研究成果というのは、それが金になるかならないかでは評価できない。なぜなら、金になる(実用化する)には成果を応用するアイデアとそれを実現する技術がなければどうにもならないからだ。超電導の原理が発見されてからリニアモーターカーに至るまで、技術が追いつくのに長時間を要しているのがその良い例だろう。

国が特許にこだわるのは、それが経済産業に大きな影響を与えるからだ。アメリカの薬品会社が膨大な特許を持つため、我々の医療費の一部はその支払いのためにアメリカに渡っている現状がある。今回の研究内容も間違いなく多くの特許を生むと考えられており、そのために国も必死になると思うのだ。

とは言え、お金は有限。次世代技術の根幹となる特許を死守するには相当額のお金をつぎ込む必要があるにも関わらず、日本の国家予算には限界がある。従って有望な研究に予算を一極集中化せざるを得ないのも一理ある。しかし、アメリカと違って合理的でない日本の研究・開発システムで、彼らに対抗するような戦略が国益に沿うのか?国だけでなく民間からも莫大な資金を集め、世界トップクラスの研究者を全世界から集め、なりふり構わず一気に研究を進めるのが、アメリカのやり方である。それに対抗できるだけの戦略があるのか?仮にその特許をとることができて十年は利益を確保できたとしても、次の十年のためにまた新しい特許を見つけ出して莫大な投資をする必要がある。

私は、広く研究に投資して新しい芽が育つのを見つけるのが日本にとっては向いていると思う。そのうちいくつが実用化されるのか分からない、しかし、確実に他国が持ち得ない芽を育てることができるのである。

現在日本は有望な研究と未知の研究の両方に手を広げている。今後日本はどう歩むのか?私にはそれが見えないのである。

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